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お釈迦様の教えで超おススメな名言、人生で役に立つ素晴らしい言葉、「中道」とは?【お釈迦様の言葉】

お釈迦様と仏教

「中道」(ちゅうどう)って言う言葉を聞かれたことは有りますか?

関西弁での、「ぼちぼち」と相通じる言葉です。

 

お釈迦様は出家された後、6年間も厳しい修業をされました。

いくら苦行を続けても覚り(さとり)を開けず、覚りが開けた結果、誰でも苦行をしたからと言って覚りが開ける訳ではないと実感されたようです。

その結果と過程を考えて、「何事もほどほどが良い」と実感されたのでしょう。

「なんでも過ぎると良くない」っていう事です。

少な過ぎても多過ぎても良くないってことですね。

 

ここまでの話で、「中道とは?」の説明は終わってしまったように感じられるでしょうが、今回の記事では、他の視点からも、この「中道」という言葉の良さを検証したいと思います。

この記事を読むことで、「人生で役に立つ言葉」を探しているあなたには、きっと面白い内容になると思います。

 




 

「中道」とは?

お釈迦様が説かれた話の中に「何事もほどほどが良い」と言う内容が有ります。

これを仏教用語で「中道」と言います。

 

ところで、日本でお釈迦様の話や仏教の話をすると、宗教じみて「うさん臭い」って思われたり、何かの宗教って少々警戒心が出て来ます。

 

例えば、「瞑想する人」を日本ではどう思うでしょうか?

多分、少々変わっていて宗教じみていて、関わったら何かに勧誘されるかも・・・なんて思ってしまう人もいます。

 

アメリカでは、瞑想と宗教が別物で考えられているので、「瞑想」がヨガとかダンスみたいにカルチャーとしてとらえられているようです。

ビジネスマンなどには「メディテーション」や「マインドフルネス」として受け入れられているとのこと。

 

*話が逸れてしまったので、元に戻します。

最近は、「お釈迦様の教えが役に立つ」という理由で、仏教や宗教とは関係なく紹介された本が人気です。

 

その教えの中の1つに、「中道」があります。

「多すぎず少なすぎず、程よい適度な状態」の事を指します。

 

もちろん、その状態は人によって違います。

同じ人でも時と場合によって「適度な状態」は変わります。

それを考えつつ、物事に取り組むことを指します。

何でも習得するにはトレーニングやレッスンや練習・学習などの努力は必要ですが、やり過ぎると逆にけがをします。

試合でがんばり過ぎて大ケガをしたスポーツ選手も居ます。

 

どのラインがやり過ぎなのか・厳し過ぎなのか・がんばり過ぎなのかは個人差が有りますが、努力を怠る逃げの言葉としての「中道=ほどほど」ではなく、自分を冷静に見つめる言葉として実践すれば、良い結果に繋がると考えます。

 

また、長所も過ぎれば短所に変わりますし、逆に短所は上手くコントロールすることで長所に見られたりもします。

 

例えば、

リーダーシップの取れる人が上手くまとめているうちは良いリーダーと言われますが、行き過ぎると独裁的と言われてしまいます。

おとなしい人がおとなし過ぎず少し自己主張をしてみることで出しゃばらない控えめな人に映るし、短気な人が少し気長に成ろうと意識することで真っ直ぐな人に映ります。

 

このように、実は「簡単なようで、その時々に合わせた程よさ、の言動は難しい」のです。

そこが、この言葉の奥深さだと感じます。

この「中道の意味を考える事」は、常に「何が中道か?」を意識することに繋がり、自分にとってプラスになると感じました。

 

 




 

関西弁の「ぼちぼち」。

これは、中道の精神です。

とても曖昧で便利な言葉。

「まあまあ」

「ほどほど」

「ゆっくり」

「じっくり」

「マイペースで」

「無理しないで」

「良くも悪くもなく」

「そろそろ」

こんな意味合いが有ります。

 

広い意味で考えると、「中道の精神」とは、とっても大らかに感じます。

 

「中道に」似た言葉。

「過ぎるは及ばざるがごとし」。

「多い事は少ない事と同じ」といった意味でも有ります。

実際、多すぎると悪影響も出て来ます。

 

「良い塩梅:あんばい」。

梅干しを漬ける時ではなく、「梅酢を作る時」の程よい塩加減の事を指します。

本来、梅酢は塩漬けにした梅の実から出た汁を抽出したものです。

醤油や醸造酢よりも起源が古いモノで、この汁を抽出した残りが「梅干し」のようです。

「多過ぎず少な過ぎず、ちょうど良い量」のことです。

 

関西では「ええ塩梅やな」と言って、良い意味でよく使われていた表現です。

*「良い」が「ええ」なのです。

「良いアイデア」は「ええアイデア」になります。

「そのネクタイ、良いね!」が「そのネクタイ、ええね!」です(笑)。

 

「良い加減」。

関西では、「ぼちぼち」と同じように、今でも使われる表現が「ええ加減やな~!」です。

これは、良い時も悪い時も使います!

 

*お風呂のお湯の温度加減が「ええ加減」で良かった。

*信用できない人、約束を守らない人は、「ええ加減な人」。

 

良い意味で使われる「良い加減=ええ加減」は、「中道」と同じ「ほどほど」で「ちょうど良い」という表現です。




 

最後に:「ぼちティブな生き方」

「ポジティブ」に生きようなんて簡単に言われても、そう簡単では有りません・・・。

それならば、「ぼちぼち」「ポジティブ」に生きてみよう。

そんな提言が「ぼちティブに生きる」「ぼちティブライフ」です。

前には進んでいます。

だから、後ろ向きではない、でも、しゃかりきな前向きではない。

 

そうそう、この「しゃかりき」って「釈迦力」なのです。

お釈迦様は「誰かのために一生懸命」に生きておられたので、いつの間にか「めちゃめちゃ一生懸命な様子」を「しゃかりき」というようになったようです。

 

お釈迦様のようには成れないから、「シャカリキではなく」「ぼちぼち前進」です。

だから、マイペースで前に進んで行きます。

水前寺清子さんの「3歩進んで2歩下がる」場合は「1歩は進んでいる」

 

「中道の精神」は「継続は力なり」といった意味合いも含んでいるんだと感じます。

自然体でコツコツと進んでいくことの大事さにも気付かされます。

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