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「仏事や仏教」って「お釈迦さん」と深い関係が有るのです。
このサイトをご覧になられたあなたは、「お釈迦様の教え」や「心に響く言葉」について興味が有るのだと思います。
最近は、心理学や哲学として捉えた「お釈迦様の教えがとっても役に立つ」として、たくさんの本が出版されています。
僕が日本で生まれ育っていく中で、「お釈迦様や仏教」が自分の生活と結びついているのは知っていましたが、大した興味や疑問も持たずに長らく暮らしていました。
ところが、お釈迦様に興味が湧いてきたので調べてみると、「なるほど」ということが多くありました。
そこには、意味の分かりにくい宗教としての「仏教」・歴史の教科書に出てくる「仏教」、こういった面とは違う興味深い内容が有りました。
そこで、葬儀のプロ僕でさえも知らなかった、そして、葬儀のプロも「なるほど」と納得できた、「お釈迦様の教え」について、分かりやすくまとめてみました。
お釈迦様と仏教について
まず、2つの質問をします。
1・「仏教」って何なのでしょう?
2・「仏」って何なのでしょう?
「仏教」って宗教でしょう?宗教には興味ない・・・。
「仏」って言葉の響き、なんか怖い気がする・・・。
そうですよね!
よく分かります、その気持ち。
でも、お釈迦さんの話や心に響く教えの前に、この説明が必要なんです。
だから、もう少し付き合ってください。
仏教とは?
お釈迦様の言葉や教えを細かく説明すると長くなりすぎます。
そこで、この記事では、「お釈迦様教えとは?」を、仏教という宗教とは違う方向から、分かりやすく簡単にまとめています。
知らない人も有るかもしれないので、まず基本的なことから。
宗教としてではない説明するにしても、まずは「お釈迦様と仏教の関係」を説明してから、切り離して参ります。
仏教はお釈迦様が説かれた教えをまとめて世の中に広まった宗教です。
世界の3大宗教の1つなのです。(キリスト教・イスラム教・仏教)
キリスト教がキリスト様の名前が付いているので、「釈迦教」でも良いのでは?と思います。
ところが、「仏教」と名前が付いていることが、実は大きな意味が有ると僕は思っています。
仏教とは何の教え?
仏教とは、字のごとく「仏の教え」がまとめられたモノ。
ここで勘違いしがちなことが2つあります。
1・「お釈迦様だけが仏様」では無いのです。
正確に言うと「お釈迦様も仏様の1人」ということです。
「仏」とは「さとりの境地に達した人」という意味です。
ここでは「さとり:覚り」として書き進めていきます。
覚りの境地に達した人の中の1人がお釈迦様なのです。
2・仏様の教えというよりは・・・
「仏教=お釈迦様」と考えるので、「仏教とはお釈迦様の教え」でもあります。
ところが、お釈迦様だけが仏さまではないのです。
「お釈迦様の教え」とは「覚りの境地に近づける方法」なのです。
ということは、「仏教=仏になる、仏に近づくための教え=お釈迦様から始まった、覚りの境地に近づくコツが詰まった教え」なのです。
これが、「本来の仏教」です。
「本来」という言葉を付けた理由は、今の日本の仏教は本来の形から離れてしまっているように感じるからです。
お釈迦様が伝えたかったことが伝わりにくくなっていると感じます。
お釈迦様と仏教
分かりやすく説明すると、
悟りの境地に入る方法を知ったお釈迦様は、多くの人に知って貰うことが世の中のためになると思って、教えをスタートしました。
それに共鳴や感動する人たちが弟子になったりお釈迦様のファンになり、大きく拡がっていきました。
*仏教は、「宗教ではなく、お釈迦様が気が付いたことを世の中に広めたい」という想いからのスタートでした。
誤解を恐れずに言い換えると、
自分の気が付いたコツを世に広めようとお釈迦様は「講演活動」を開始しました。
当時は、テレビもラジオも有りません。文字も普及していないので、本も有りません。
お釈迦様の話を聴きたい人は、当然ながらお釈迦様に会いに行きます。
もちろん、講演会の依頼もたくさん来ます。
素晴らしい話なので、ファンが増えます。
噂を聞いた人は、自分も聴きたくなります、会いたくなります。
お釈迦様の元で学びたい人もドンドン増えます。
カウンセリングのようなこともしていらっしゃったので、相手に合わせた話の内容や話し方・アドバイスをされました。
ますます人気が出て、いつの間にか大きな動きになったということです。
*お釈迦様が亡くなられた後は、弟子の方々がその教えを更に世に広めようと、まずは言葉にまとめました。
(当時は文字が普及していませんでした)
それから歳月が経って、文字として本にまとめられました。
これが「お経」であって「経本」です。
そして、お釈迦様が生まれたインド発祥の「仏教=仏になる教え=悟りに近づける教え」は、
シルクロード経由で中国に入り、漢字のお経になって中国経由で日本に入って来ました。
こうやってドンドン形が変わって、今の日本では、当時のお釈迦様の本当の教えよりも宗教や儀式としての関わりが深くなってしまいました。
いわゆる「お葬式」「法事」「お寺参り・仏閣巡り」「お墓参り」などです。
本来のお釈迦様の教えと仏教は「イコールではない」形で、現在の日本では存在しているように感じます。
だから、宗教としての「仏教」には興味が湧かなくて、「お釈迦さんの言葉や教え」に興味を持つ人が多いのだと思います。
お釈迦様とは?
お釈迦様の事を「ブッダ」とも呼びますが、お釈迦様のお名前から説明していきます。
お釈迦様のお名前は「ゴーダマ・シッダッタ」さんです。
ゴーダマ・シッダッタさんは、サーキャ族(釈迦族)の王子に生まれました。
紀元前500年ころのようです。
族は豪族のことです。お釈迦様一族は当時のインドの、とある地域の領主でした。
しかし、多くの人々が幸せになるにはどうすれば良いのかと29歳の時に修行に出ました。
いわゆる「出家」です。
家出よりも思い切った形の「もう戻らない」決意で自分の身分を捨てて修行に入りました。
そして、6年間の修行の結果、とうとう35歳で覚りを開き真理が分かったシッダッタさんは、自分の知った真理を広く世の中に知って貰おうと活動を開始しました。
これが「仏教」の始まりです。
お経で「釈迦牟尼世尊」という言葉が出て来ますが、「釈迦族の」「牟尼=聖者」「世尊=この世でとても尊ばれる」という連語です。
「釈迦族出身のこの世で尊ばれる聖者様」という意味です。
お釈迦様が説いた「仏教」とは?
「覚りに近づく方法や心の持ち方」を説き、たくさんの人々が共鳴した教えと言えます。
様々な真理とコツを会得し、お釈迦様オリジナルな形で体系化するという偉業をされたので「お釈迦様の教え=仏教」となって広く後世まで伝わっています。
しかも、相手の性質・能力・悩み・問題の種類や度合いなどに応じて、話し方や内容、はたまたアドバイスの仕方までを臨機応変に切り替えられた様です。
相手の立場・状況・気持ちが分かって教え導けるのも凄いことです。
お釈迦様は、自分が亡くなる前にお弟子さんに、こう言われたようです。
「私を拝んだり私を世に広めるのではなく、私の説いたことを世の中に広めるように」。
今の日本のような仏像を拝むことは、本来のお釈迦様の教えとは違う形なのです・・・。
ところが、本来の「悟りの境地に近づくノウハウや心の在り方」は、現代社会でも参考になる興味深い教えなので、現在でも本などで取り上げられて注目を集めているのです。
なぜ心に響く教えや言葉が多いのか?
理由は、「お釈迦様の生き様」と「お釈迦様が気が付いてまとめられたことの素晴らしさ」だと思います。
紀元前500年頃に生きていた人の考えや教えが、今の世の中でも通用するなんて驚きませんか?!
かれこれ2500年ほども大昔の世の中なのに、今の社会でも通じるのは、やはりお釈迦様は「覚りの境地に入り真理を体得した聖者」です。
「真理」という言葉は「オーム真理教」で使われているので、「怪しくて宗教っぽい」言葉ですので使いたくないのですが、意味は次の通りです。
お釈迦様が説かれた教えには「真理が満載」だったので、当然、現在にも通用するのですね!
29歳の時に裕福な家を捨て、出家。
この「出家」という行動も普通では真似のできない行動で、考え方もすでに真理を追究していたのだろうと解釈できます。
お釈迦様の出家。なぜ、真理を求めている行動なのか?
「本来の出家」とはすべてを捨てて、自分だけになることです。
というのは、
「自分が何かを所有していることは執着が生まれるので、執着を断ち切るために、持ち物を放棄する行為」です。
真理を知るために、自分の裕福な身分を捨てて、そして、奥さまや子供も捨てる。
そんな出家なんて普通は出来ません。
「モノを所有することが執着に繋がる」ことは、今も昔も「真理」でしょう。
しかしながら、分かっていても出来ません・・・。
それを実行したというのは、凄い決心と行動力だと驚かされます。
心から真理を突き止めようと考えていなければ出来る行動では有りません。
35歳の時に覚りを開く。
そして、6年間の苦しい修行を経験し「覚りが開けた」とのこと。
また、「苦行をしたとしても覚りは開けるわけではない」ことが分かったお釈迦様は、「何事もほどほどが良い=中道:ちゅうどう」の精神を見つけたようです。
お釈迦様が35歳の時ですので、そんな年齢で覚りが開けたのにも驚きます。
6年もの苦行が出来る精神力も素晴らしく、その苦行の経験が有ったからこそ、お釈迦様に「中道」という考えを薦められると納得してしまいます。
また、きっと、この6年間の苦行で、たくさんの真理を発見されたことだと思います。
それ以降は各地で説法を行ない、お釈迦様の名声は大きくなって行きます。
ご逝去は80歳。
80歳の時に亡くなられたようです。
亡くなられる時も、「真理の教えを後世に伝えることが大事で、お釈迦様をシンボルにするのではなく、真理の教えをシンボルにするように」と言われたようです。
普通なら「私の教え」「私の団体」といった「私という執着」が出るところを、執着のない判断が出来るところも簡単には真似のできないことです。
80歳を迎えたお釈迦様は、体の衰えがひどくなり、自分の死期が近いと感じていたようです。
そんな中、説法をした翌日にお礼として食事に招待されました。
そこで食したモノで食あたりを起こし、それが最後の食事となったようです。
しかし、その食事を出した主人を恨むどころか、逆に気遣い、「亡くなる直前の食事を提供したことは、とても功徳が有るから素晴らしいことだ」といった内容のお礼を弟子を通じて伝えたようです。
このように、お釈迦様が説かれた話や考え、言い換えると生き方には「覚りの境地に入るためのコツが詰まっている」と言えます。
お釈迦様の教えを簡単にまとめると。
様々な教えをこの記事で紹介するには、スペースが少なすぎるので、いくつかに分けて別記事で取り上げていきます。
そこで、ここでは、「お釈迦様の教えを簡単に」まとめて参ります。
ところで、いくらお釈迦様が「ブッダ=覚りを開いた人」であっても、やはり当時の社会と今の社会は構造が違うので、その教えが通用しない部分も有るかと思います。
なぜなら、現在の近代国家の社会では、物質的な金銭的な部分が大きな意味を持つようになっているからです。
「成功」と「幸せ」が、「ごちゃまぜ」になっていると感じます。
「成功=幸せ」とは限らない。
「お金持ち=幸せ」とも限らない。
これが現実です。
ところが、
たくさんの人が「成功=お金持ち=幸せ」という図式で物事を考えてしまっていると思います。
「成功や金持ち」は物質的な側で、「幸せ」は精神的な側です。
別々の世界ですから、「成功と金持ち」になるノウハウやコツと「幸せ」になるノウハウやコツは確実に違います。
「真逆」のコツだと感じます。
精神的な幸せを感じるには、「執着や人と比べること」は邪魔になります。
逆に、社会的・経済的に成功するには、基本的には「お金や仕事に執着し、人と比べて競争社会に打ち勝つ」ことが重要になります。
この両面を、どちらも上手くやっている人は、数少ないと実感しています。
しかし、そんな凄い方も世の中にはいらっしゃるようです。
きっと両方とも手に入れている人は、
「物事に執着し過ぎず、ただし、仕事はあくまでも自分との競争であり、自分の結果に執着している」
のであろうと観察をしています。
*お釈迦様の教えには「精神的な幸せを感じるためのコツ」が詰まっていると感じています。
そう感じるのは、僕自身が、「本来のお釈迦様の教え」を知ることで、精神的にとっても落ち着いて幸福感を感じることが出来るようになったからです。
「心が落ち着く精神的な幸せ」に気づかされました。
まさに、「せいこう=成幸」です。
お釈迦様の教えは数多くあります。
また、エッセンスも数多くあります。
そこで、僕がお釈迦様の教えを調べていくうちに、幸福感を感じやすくなって精神的に安定した理由を下記にまとめました。
・規律(戒律:ルール)を守る。=正しいことを行なうという基本姿勢を持つ。
・中道の精神をもつ。「なんでもほどほどが良い」。
だから、正しいことを行なうという姿勢も、何に対しても「白黒」「正しい・間違っている」と区別せず、偏りのない柔軟な考えを持つ。
・他人と比べても良くない。比べるならば、「昨日の自分・過去の自分」。
今の自分がどれだけ良くなっているか?に注目。
・執着しない。もしくは、執着し過ぎない。
・幸せは探すモノでも掴むものでもなく、気付くもの。
今ある幸せに気が付かなければ、いつまでもその先の幸せを手に入れることは出来ないだろう。
このような精神を「お釈迦様」から教えて貰えたのです。
そもそも宗教って何?
「宗」とは「おおもと・家元」という意味が有る言葉です。
ということは、宗教とは「おおもとの教え」です。
「仏教のおおもと」は「お釈迦様の教え」ですが、仏教だけでもその下に、世界各地でたくさんの宗や派閥が有ります。
(日本では、浄土真宗や真言宗などが有り、その下に派が有ります)
紀元前5世紀以降にインドから拡がった仏教は、東にはミャンマーやタイなど、南に下ってスリランカなどに伝わり、日本にはシルクロード・中国・朝鮮半島経由で西暦500年頃に伝わりました。
その当時は、「宗教ではなく学問」として、当時の最先端の考えや学びの1つとして中国大陸から日本に伝わりました。
これは、空海や最澄が遣唐使として当時の中国の大国「唐」から新しい仏教を持ち帰り日本で重宝されたことからも分かると思います。
その後は、日本で独自に発展していき、時々に中国や朝鮮半島から新しい情報が入って来て融合していったのです。
そして、それぞれの「学門の集まり➡宗」となって、それぞれが発展し「宗の教え=宗教」になって行きました。
最後に
哲学や心理学とも共通点があるので、「お釈迦様の教え」を「宗教」として捉える必要はありません。
哲学や心理学と同様に、参考になるところだけを自分に取り込んで行けば良いのではないかと考えます。
もちろん、哲学や心理学にも派閥が有りますので、派閥に関わり過ぎると、面倒臭そうですネ。
「1つの事にどっぷり浸かって、その教えに疑問を持つべきではない」という関わりはおススメ出来ません。
「自分が良いなぁ」と思えるところだけを自分の学びにして行けば良いのではないかと思っています。
現代社会は、「本」からでも「インターネット」からでも調べて学ぶことが出来る便利な世の中です。
僕の記事も、そういった柔軟な姿勢で発信していますので、何かの参考になれば嬉しいです。
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